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東照宮の近代 都市としての陽明門 |
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東照宮の近代
A5判・344頁
ISBN4-8315- ISBN978-4-8315-1237-6
C1021
2009 年発行
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東照宮に対する評価は、揺れてきた。 東照宮の近代とは、近代日本が東照宮的なるものの克服をめざした一世紀ともいえ、一方で、圧倒的な礼賛の声を背景にした「『壮麗』は『美』に劣るのか」という問い続けた一世紀であった。 絶賛と拒絶の入り混じったその評価の秘密を建築から問う。
●目次 はじめに 第〇一章 様々な疑問 「日光の自然美と人工美」 不可解な東照宮観 野口と「市俄古で有名な建築師」との談話 細部と全体 矢代幸雄のディテール観 唐招提寺の障壁画 分業と信頼 様々な疑問 第〇二章 「壮麗」なる東照宮 明治初期 神仏分離 『明治維新神仏分離史料』より 『日光市史』より 外国人の礼賛 アーネスト・サトーとエミール・ギメ エドワード・S・モースとピエール・ロティ 「壮麗」なる東照宮 『小学地誌』まで 大槻修二と南摩綱紀 第〇三章 「壮麗」をめぐる葛藤 明治中期 葛藤の顕在化 前提としての通説 契機としての「東京開市三百年祭」 専門家の見解 「壮麗」の浸透 明治中期の初等教育における日光東照宮評価 少女只一人日光に遊ぶ 批判と礼賛 総合誌『太陽』の刊行 日光に関する記事 高山林次郎と坪内雄蔵の論争 第〇四章 修復をめぐる議論 明治末期 明治の大修理 修繕へ 奈良と日光 大江新太郎の参画 修復をめぐる議論 遠藤於菟と黒田鵬心 大江新太郎の主張 色彩をめぐる見解の相違 国宝日光東照宮 指定の経緯 国宝東照宮 第〇五章 歴史としての寛永造替 大正期 日光東照宮三百年祭という契機 日光東照宮三百年祭 『日光』の刊行 「美術より観たる日光」伊東忠太 『工業大辞書』と菊判『稿本日本帝国美術略史』 大正前期の東照宮評価 歴史としての寛永造替 平泉澄の主張 大熊喜邦の見解 東照宮寛永造替の実相 工期の訂正と東照宮評価 専門家の見解 震災復興と東照宮評価 第〇六章 東照宮批判 昭和前期 日本建築史の展開 建築史と東照宮 昭和初期の日本建築史 タウトの来日 タウトの著作にみる東照宮 タウトの苦悩 タウトの見解をめぐる議論 一般の反響 建築界への影響 昭和初期の初等教育における東照宮評価 第〇七章 昭和の大修理 昭和後期 東照宮の割愛 太田博太郎と吉田鉄郎 日本建築史と現代建築 『桂と日光』 昭和の大修理 修理工事報告書より 第〇八章 東照宮の実像 東照宮の現在 『日光東照宮』(秘宝一二巻) 大河直躬の見解 森政三の見解 通説の成立 東照宮論の展開 「模倣と創造の神殿」 西和夫の見解 『建築の歴史』藤井恵介・玉井哲雄 世界遺産へ 第〇九章 東照宮の近代 都市としての陽明門 「壮麗」とは何か 建築家としての見解 建築現場としての寛永造替 東照宮の原作意匠 「壮麗」とは何か 都市としての陽明門 国土としての日光・都市としての陽明門 土木と建築 東照宮の近代 注記 参考文献 あとがき 索引
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