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吉本隆明の一九四〇年代
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吉本隆明の一九四〇年代
四六判・280頁
ISBN4-8315- ISBN978-4-8315-1266-6
C1095
2010 年発行
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こんにちにいたるまで、第一線で思索し活動し続ける思想家・吉本隆明の敗戦をはさむ10年間における思想形成過程を、吉本自身が制作した文献によって明らかにする。
●目次● まえがき 第一章 吉本隆明の出発 Ⅰ 東京府立化学工業学校時代 最初の詩/少年時代の終わり/若き三島由紀夫の詩/自己表出/『論語』、啄木/ふたたび『論語』、そして老子/下町の時間の流れ/受容的自然観 Ⅱ 米沢高等工業学校時代 回覧雑誌『からす』/「巻頭言」/「白い花」/小林秀雄の古典論 第二章 詩集稿『呼子と北風』の編纂時期をめぐって Ⅰ 編纂時期について Ⅱ 配列について Ⅲ 公表過程 Ⅳ 残された原稿束 Ⅴ 残された問題 完成度という基準/表題について/作品配列について Ⅵ 内容的検討の必要性 Ⅶ ふたたび編纂時期について 第三章 詩集稿『呼子と北風』の形成過程 Ⅰ 宮澤賢治との出会い 進学の理由/みちのくの街/花巻への旅/賢治をいつ読んだのか?/「雨ニモマケズ」 Ⅱ 賢治探究の進展 「イギリス海岸の歌」/作品探究のはじまり/「山の挿話」/「郷愁」/「朝貌」/東北の風光/表記の模倣/「かぶと山と虚妄列車」/影響の深まり Ⅲ モダニズム 「北風」/今氏塾の少年詩人たち/田村隆一の最初期の作品/鮎川信夫の「寒帯」/鮎川信夫の「夕暮」/「悲哀のこもれる日に」 Ⅳ 宮澤賢治の影響 「呼子」/賢治の「無声慟哭」/賢治の「永訣の朝」/「続呼子」 第四章 吉本隆明の戦争詩 Ⅰ 戦争詩の問題 戦争詩の制作/『草莽』の編纂/「帰命」/賢治の影響/兄の戦死/賢治の「河原坊」/挽歌? Ⅱ 『呼子と北風』の戦争詩 三好達治の戦争詩/高村光太郎の戦争詩/最初の戦争詩/アッツ島を歌う光太郎/アッツ島を歌う三好/秋山清の「白い花」/「ワタシノ歌」/三好達治の「十柱の神」/「祖国]と「われ」のあいだ/日本列島 Ⅲ 『草莽』の戦争詩 「草莽」の語/「序詞」/「草ふかき祈り」/国家と自己/歴史/悲しい石/国土 第五章 死にむかいあう日々 Ⅰ 東京工業大学への進学 一九四五年五月の手紙/「哀しき人々」/宮澤賢治の影響 Ⅱ 「雲と花との告別」 雲と花の会話/賢治の影響―語彙/神々/賢治の影響―受容的自然観 Ⅲ 立原道造の影響 四季派/日本浪曼派/芳賀檀 Ⅳ 立原道造の「かろやかな翼ある風の歌」 風になった青年/暴風雨/さびしい心/浅間の山や軽井沢/『日時計篇』 第六章 敗戦前後―保田與重郎理解をめぐって Ⅰ 戦争をどう見たか 愛国少年/今氏乙治の教え/戦略的発言/花田清輝との論争 Ⅱ さらなる宮澤賢治探究 そぼくな疑問/宮沢賢治への関心/三冊のノート/時代の児 Ⅲ 保田與重郎 英雄と詩人/系譜という観念/保田の「宮澤賢治」/保田における系譜観念の転換 Ⅳ 保田の二つの系譜観 モダニストとしての保田與重郎/実体的系譜観念の否定/文学的文脈 Ⅴ 隠遁詩人という観念 宮澤賢治の「告別」/隠遁詩人 Ⅵ 保田與重郎からの離脱 アジア的と非アジア的/宮澤賢治論のその後 第七章 小林秀雄からの脱出 Ⅰ 敗戦直後の模索 「習作廿四(米沢市)」/宮澤賢治論の放棄/小林秀雄への傾斜 Ⅱ 「詩と科学との問題」 『詩文化』/モダニズム批判/遠山啓の自主講座/小林の「ランボオⅢ」/父親殺し/小林のモチーフ、吉本のモチーフ Ⅲ 「ラムボオ、マルクス論」 敗戦直後のマルクス理解/小林秀雄のマルクス理解/情熱/ダンテの言葉/勇躍の表象/社会変革/宿命/吉本の資質/革命 Ⅳ 「反ヴァレリイ論」 小林とヴァレリー/休職、そして大学院/集団のロマンチシズムと集団のリアリズム/共同幻想という観念の芽生え/ふたたび虚無/パスカル/三木清/小林秀雄との別れ あとがき |
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