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横井小楠の実学思想 基盤・形成・転回の軌跡 |
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横井小楠の実学思想
A5判・536頁
ISBN4-8315- ISBN978-4-8315-1267-3
C3021
2011 年発行
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「古文書の総数は十万点ともいわれ、まだ読めていないものも無数にある」永青文庫所収の藩庁文書から、ほとんど研究対象にされてこなかった肥後藩の時代背景のもとでの「小楠実学」の形成基盤とその展開過程を論究する。
●目次● はじめに 序 章 一、「実学」研究史の整理 二、「実学」の定義 三、「小楠実学」研究の問悪点 四、本書の目的と方法 第一部 「実学」の登場 第一章 藩主細川斉護の藩政改革への取り組み 第一節 藩主・家老の世代交代 第二節 細川斉護の藩主としての覚悟(決意〉 第三節 文政・天保期の肥後藩の動向と実情 第四節 細川重賢の「宝暦改革」への志向 第五節 諸藩の藩政改革 第一項 諸藩の情報収集 第二項 藩主斉護の「天保期の藩政改革」 第二章 藩主斉護の「実学」奨励 第一節 「郷党」の形成とその問題 第一項 「郷党」改革の試み 第二項 「郷党」の形成とその背景 第二節 藩主斉護の「実学」奨励 第一項 師役・教授宛の「書付」布達 第二項 藩家老への「文武奨励」の指示 第三節 時習館訓導河部仙吾宅放火、伊藤石之助騒動事件(御侍一揆) 第一項「時習館訓導河部仙吾宅放火事件」の経緯 第二項 藩主斉護の藩外への対応 第三項「事件」の事後策 第二部 「実学」の実践 第一章 長岡監物の文武芸倡方役就任 第一節 長岡監物登用の経緯 第一項 長岡監物の藩主斉護への忠誠 第二項 長岡監物の「必由堂」教育 第三項 長岡監物の「実学」観と笠隼太の影響 第二節 長岡監物の「時習館改革」体制作り 第一項 藩主斉護の長岡監物の抜擢 第二項 「時習館改革」体制の準備 第二章 「第一次時習館改革」の推進と頓挫 第一節 「第一次時習館改革」(天保七年七月~同十年三月) 第一項 「時習館」教育の現状 第二項 元田永孚の『還暦之記』にみる「第一次時習館改革」の記述 第三項 『居留生之儀付而扣帳』にみる「第一次時習館改革」 第四項 「第一次時習館改革」の指導体制と批判 第五項 長岡監物の横井平四郎宛の書簡 第六項 「第一次時習館改革」の頓挫と処遇 第二節 「第二次時習館改革」前夜 第一項 長岡監物の「第一次時習館改革」頓挫後の動向 第二項 長岡監物の「必由堂」教育の現状と課題 第三項 「時習館」と「必由堂」教育の基本―「孝悌」 第四項 長岡監物宅の「会読」と「崎門学派」の笠夕山 第三章 「第二次時習館改革」の推進と頓挫 第一節 「第二次時習館改革」(弘化元年七月~同三年十一月) 第一項 長岡監物の文武芸倡方役再任 第二項 長岡監物の「第二次時習館改革」の「実学」観―「忠孝」重視 第三項 長岡監物の「第二次時習館改革」の推進 第二節 「第二次時習館改革」批判の続出 第一項 藩主斉護の「第二次時習館改革」批判―「末学」呼ばわり 第二項 肥後藩庁の探索資料に見る「実学連」の動向 第三項 「学校派」中村恕斎の「実学連」批判 第四項 藩庁の「実学連」批判と対抗策 第五項 元田永孚の『還俗之記』にみる「実学派」の弁護 第三節 長岡監物の「第二次時習館改革」の挫折 第一項 長岡監物の文武芸倡方役解任と家老職辞任 第二項 『還暦之記』に見る長岡監物の文武芸倡方役罷免の背景 第四節 長岡監物らの「第二次時習館改革」への評価 第一項 長岡監物・下津休也・横井平四郎の「先祖附」 第三部 実学の転回 第一章 横井平四郎の「実学」の基盤 第一節 江戸遊学 第一項 横井平四郎の「江戸遊学」の背景 第二項 『遊学雑志』の内容 第三項 最も親交のあった人物 第四項 対外問題への開眼 第五項 「酒失事件」 第六項 横井平四郎の逼塞七十日 第二節 『時務策』 第一項 本来の『時務策』の構成 第二項 『時務策』の「御家中の風俗を正す事」と『遊学雑志』の類似性 第三項 肥後の藩政改革と『時務策』 第三節 『孚斎存稿』の編纂 第一項 横井平四郎の「会読」への再参加 第二項 「会読」の内容とその変容 第三項 「肥後実学」の浮上と合体 第四項 大塚退野・平野深淵の「肥後実学」への敬慕 第五項 天保・弘化期の「会読」のテキスト 第六項 『孚斎存稿』の編纂 第二章 横井平四郎の「時習館」教育批判及び儒学史批判 第一節 「時習館」教育の変遷 第一項 「肥後の学風」と「時習館」の主導的学派 第二項 「時習館」開校時の秋山五山(徂徠学)と大塚退野(程朱学)の対立 第三項 横井平四郎の受けた「時習館」教育のテキストと読書歴 第二節 「時習館」教育批判 第一項 横井平四郎の「時習館」教育批判 第二項 『学校問答書』にみる時習館教育批判 第三節 横井平四郎の儒学史批判 第一項 横井平四郎の「奉問条々」 第二項 横井平四郎の「儒学および朱子学観」の特徴 第三章「小楠実学」の形成 第一節 大塚退野・平野深淵・李退渓への接近 第二節 「堯舜の道」の理解過程 第一項 大塚退野の学説―「格物致知」と「明明徳」 第二項 森省斎の学説―「敬」と「孝悌」「忠信」 第三項 平野深淵の学説―「人君論」と「堯舜三代の道」 第三節 「後期水戸学」への接近と訣別 第一項 横井平四郎と「水戸学」 第二項 横井小楠・荻昌国と「前期水戸学」 第三項 横井小楠と「後期水戸学」 第四項 徳川斉昭と平野深淵の「堯舜の君」の等式 第五項 「後期水戸学」との不協和音 第六項 徳川斉昭への失望 第四節 私塾「小楠堂」の教育の展開 第一項 「小楠堂」の開塾 第二項 「小楠堂」の経営と講義内容 第五節 横井小楠と長岡監物の訣別への経緯 第一項 横井小楠と長岡監物の対立理由(研究史批判としての仮説) 第二項 平野深淵の『程易夜話』の「会読」 第三項 長岡監物の『論語』の「学而」の見解 第四項 長岡監物の攘夷強硬の姿勢 第五項 長岡監物と横井小楠の学風の共通性 第六項 長岡監物の横井小楠批判 第四章 「公議政体論」への発展 第一節 ペリーの浦賀来航 第一項 ペリー来航以前の対外問題 第二項 フィルモア米大統領の国書 第三項 幕府や諸藩の国書への対応 第二節 肥後藩の国書への反応と相州警備 第一項 肥後藩主斉護の対応 第二項 肥後藩庁の対応 第三項 長岡監物の対応 第四項 長岡監物の相州警備総帥就任 第三節 横井小楠の「開国論」の展開 第一項 長岡監物の斉昭の「ぶらかし」論の許容 第二項 ケンペルの『鎖国論』と小楠の「修徳」論 第三項 ロシアのプチャーチンの長崎来航とその対策 第四項 横井小楠の『夷虜応接大意』と「有道無道」論 第五項 長岡監物と横井小楠の「信義」の相違 第四節 横井小楠の国際的視野の形成 第一項 魏源編著『海国図志』 第二項 横井小楠の国際的視野の形成 第三項 横井小楠の「開国論」に伴う大混乱 第四項 「水前寺騒擾事件」(「水前寺騒動」) 第五節 小楠「実学」の到達点 第一項 小楠の初期的「公議政体論」 第二項 国内的視野から国際的視野へ―「堯舜三代の道」の普遍性 第三項 小楠の「国家論」の基盤 第四項 小楠の「出処進退」論 終 章 第一節 肥後藩における「実学」の歴史的位置 第二節 「小楠実学」の位置と特色 参考文献 あとがき 索引
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