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教化に臨む近世学問 石門心学の立場 |
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教化に臨む近世学問
A5判・416頁
ISBN4-8315- ISBN978-4-8315-1406-6
C1021
2015 年発行
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貝原益軒、河内屋可正、常盤潭北、西川如見、石田梅岩、手島堵庵、脇坂義堂らが、書物や対面によって人々に学問なるものに立脚して教化に臨む局面に着目し、学問のあり方を考察する。
●目次● 序 章 教化に臨む近世学問 第一節 問題の所在 第二節 時代設定 第三節 本書の課題 第四節 先行研究 第五節 本書の構成 第一部 第一章 学問誘導の語り―貝原益軒『大和俗訓』の場合― 第一節 本章の課題 第二節 「天地につかへ奉る」 第三節 「天地」の語られ方 第四節 人が「人」となる過程 第五節 「欲」への向き合い方 第六節 「世俗」への向き合い方 第二章 「渡世」に資する学問―『河内屋可正旧記』の場合― 第一節 本章の課題 第二節 家の興廃の「来由」をめぐって 第三節 「渡世」と学問 第四節 「物しれる人」は「化物」か 第三章 職分に応じた学問―その困難性― 第一節 本章の課題 第二節 「庶民の学問」―常盤潭北『民家分量記』の場合 第三節 「町人の学問」―西川如見『町人袋』の場合 第四節 「亭主」の学問―上河宗義『商人夜話草』の場合 第四章 動揺する教化―談義本を手がかりに― 第一節 談義本とは 第二節 動揺する教化 第三節 野暮な教化と粋な教化 第二部 第五章 「赤裸」なる覚悟 第一節 本章の課題 第二節 石田梅岩の略歴 第三節 「おしへを立る志」 第四節 「赤裸」になる覚悟 第五節 「万民ノ心ヲヤスムル」ために 第六章 教化に臨まんとする「病」 第一節 本章の課題 第二節 「性」「心」の語られ方 第三節 なぜ孟子なのか 第四節 教化に臨まんとする「病」 第五節 「鳴子」の教え 第七章 教化による継承 第一節 本章の課題 第二節 「道」の「相続」 第三節 教化運動の始動 第八章 「同輩」への教化と教育 第一節 本章の課題 第二節 「此方の学問」 第三節 「初入」への配慮 第四節 教化と教育の区分 第九章 石門心学への批判 第一節 本章の課題 第二節 学問からの逸脱 第三節 「本心」を知らせることは妥当か 第四節 「本心」を知らせることは可能か 第十章 「頑民」への教化―脇坂義堂『心学教諭録』の場合― 第一節 無宿に対する心学教化 第二節 「元の良民」に帰るとは 第三節 「よく聞ぬ人」の視線 結 章 「臍」のゆくえ 第一節 「臍」のゆくえ 第二節 「五体」のそとへ あとがき 索引
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