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能楽史のなかの世阿弥
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能楽史のなかの世阿弥
A5判・606頁
ISBN4-8315- ISBN978-4-8315-1689-3
C3021
2025 年発行
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『世阿弥十六部集』の刊行から始まった能楽の本格的な研究は、戦前から戦後にかけ、事績、能楽論から能楽史研究、作品論へ漸次移り、文献をふまえた堅実な方法が主流になり、関心も近世以降へ移りゆくなか、世阿弥や世阿弥時代の研究が相対的に手薄になってきている。そのような能楽史における世阿弥という存在を浮かび上がらせる、著者15年に亘る論考を集成。
●目次● はしがき 目次 凡例 序 章 世阿弥への道――観阿弥まで 観阿弥以前 観阿弥の今熊野猿楽 観阿弥の醍醐寺「七ケ日猿楽」 観阿弥の伊賀創座説 「面の事」の「この座」 観阿弥と伊賀 「面の事」を読む 第一章 世阿弥の功業概観 第一節 劇作における世阿弥の功業 はじめに 一、世阿弥が作った能とはどれくらいあるのか 二、「主題」の発見 閑却されてきた能の「主題」 世阿弥における「主題」の諸相 脇能における「寓意」の「祝言」 凝縮された「感情」――『忠度』『実盛』 普遍への昇華――『班女』『融』『井筒』 「思想」という主題(一)――『敦盛』『清経』 「思想」という主題(二)――『頼政』『江口』 「思想」という主題(三)――『山姥』 三、夢幻能における模索 夢幻能定義のむずかしさ 世阿弥時代の夢幻能 「現在=夢幻能」と「劇的夢幻能」 後場に流れている「時間」 回想と再現 亡者姿と生前の姿 『砧』が生まれる素地 四、「改作」にみる志向 世阿弥の改作概観 『鵜飼』の改作と原形 『海土』の改作と原形 『自然居士』『卒塔婆小町』『百万』の改作 『柏崎』の改作がもたらしたもの 男物狂との決別 鬘物(本三番目物)の形成 第二節 思想における世阿弥の功業 はじめに 一、「超意識」という芸境 二、「超意識/無心」の発見 三、「超意識/無心」の広がり 四、見る側・聞く側の「超意識/無心」 五、「超意識/無心」と「妙」 六、「超意識/無心」の周辺(一)――「闌位」「却来」「却来風」との関係 七、「超意識/無心」の周辺(二)――「安位」との関係 八、「超意識/無心」の周辺(三)――「体」「用」との関係 九、「超意識/無心」と幽玄観 むすび――良基をも凌駕 第二章 世阿弥と音阿弥 第一節 世阿弥と三郎元重(一)――元重が実質的に観世大夫になった時期―― はじめに 一、元重が実質的に観世大夫になった時期 二、「観世」という呼称をめぐって 「観世」という呼称 「観世」は「観世大夫」 世阿弥を「観世」と呼んだ例 他座の大夫の例 元重の呼称の変化 三、永享二年の醍醐寺清滝宮祭礼能について 四、元重が「観世」と呼ばれるようになった時期の世阿弥と元雅 五、永享四年に世阿弥と共演した「観世大夫」 むすび 第二節 世阿弥と三郎元重(二)――応永末年~永享初年の元重と観世座の関係―― はじめに 一、『満済准后日記』の「観世大夫両座」をめぐって 『満済准后日記』の「観世大夫両座」 諸家の見解 「観世大夫両座」についての私見 二、『習道書』の「棟梁不足」説をめぐって 表章氏の問題提起 元雅不堪説について 棟梁不足説についての私見 私説に付随する一、二の問題 三、元雅が観世家の歴代に数えられていない理由 元雅大夫継承後の元重の心情 元雅が歴代に数えられていない理由 むすび 第三節 世阿弥と三郎元重(三)――世阿弥の芸論における「芸道への危機感」―― はじめに 一、世阿弥の芸論における対元重意識(一) 二、世阿弥の芸論における対元重意識(二) 三、世阿弥と元重の軋轢の始期 四、観世家に伝わる世阿弥筆能本の伝来 五、世阿弥による元重忌避のもう一つの背景 むすび 第四節 二人の三郎――世阿弥と音阿弥でたどる「劇作」の系譜―― はじめに 一、元重の芸風と義教の嗜好 多武峰様猿楽 南都延年 松囃子 女猿楽 二、元重の芸風と信光の能作 三、世阿弥の継承者禅竹 むすび――禅竹と正徹 第三章 世阿弥と禅竹 第一節 『六義』の成立にみる世阿弥と禅竹 はじめに 一、『六義』についてのこれまでの論 小西甚一氏の論 能勢朝次氏の論 岡本芳江氏の論 『世阿弥生誕六百年記念展覧会出品書目』 表章氏の論 二、『六義』の九位と世阿弥の九位 三、『六義』の芸道用語と禅竹の芸論 四、「当道為習智之所及誌也」について 五、『六義』成立の事情 むすび 第二節 五月十四日闌位付世阿弥自筆書状の「時」――禅竹の芸境をめぐって―― はじめに 一、五月十四日付書状の本文 二、五月十四日付書状の「時」についての諸説 三、書状に窺える禅竹の芸境 四、芸境としての「得法」 五、書状の「時」再検 むすび――「得法以後の参学」 第三節 『応永三十四年能番組』の『仏原』の作者――六輪一露説との関連―― はじめに 一、『仏原』の終曲部から 二、禅竹が理想とする美 三、禅竹が理想とする舞 四、ふたたび『仏原』の終曲部について むすび 第四節 禅竹序説――禅竹作品の「趣向」「背景」「主題」「情調」をめぐって―― はじめに 一、趣向――『雨月』をめぐって 二、背景――『小塩』をめぐって 三、主題――『楊貴妃』をめぐって 四、情調――『千手』をめぐって むすび 第五節 禅竹の「情調」の背景――「闌曲」と「閑曲」をめぐって―― はじめに 一、世阿弥の超克 二、禅竹作品の「情調」 三、禅竹における「闌位」と「閑位」 四、「雨」がもたらす「情調」と「閑曲」 五、禅竹作品の「風」「嵐」と「闌曲」「閑曲」 六、禅竹の美意識の背景 むすび 第六節 『蟬丸』はだれが作ったのか 第七節 世阿弥の『五音』にはなぜ禅竹の名がみえないのか 第四章 世阿弥と元雅 第一節 元雅はなぜ観世家の歴代に数えられていないのか 第二節 『却来華』の「力なく、五十に至ざれば」について 第三節 『隅田川』の「死の縁」をめぐって 第四節 「隅田川子方論争」にみる元雅の立場 第五節 『歌占』の「作意」に挑む 第五章 世阿弥の環境 第一節 世阿弥は京都のどこに住んでいたのか 第二節 北山時代における御用役者の居所 第三節 『申楽談儀』のなかの室町殿 第四節 義持と世阿弥――『実盛』『山姥』『通盛』をめぐって―― 第五節 謡い物『六代ノ歌』と「アル御方様」 第六節 佐渡における世阿弥 第七節 『金島書』「時鳥」の「春六月」は「声六月」か 第六章 世阿弥の創作 第一節 世阿弥の『砧』を読み解く 第二節 世阿弥の『砧』続考 はじめに 一、夕霧の伝言の古形 二、『砧』を古形で読み解く 三、『砧』における「三年」の背景 四、『砧』における「蘇武妻譚」 五、『申楽談儀』の「末の世」と「後の世」 むすび 第三節 世阿弥の『砧』続々考 はじめに 一、筆者の『砧』読解 二、古態テキストによる『砧』上演 三、『聞書色々』の「元広型付」 四、「元広型付」の『砧』 五、古態の『砧』から現行の『砧』へ 六、「殿はこの秋も」が本来の文句 むすび――世阿弥の『砧』復元プラン 第四節 『関寺小町』はいつ頃作られたのか――『音曲口伝』例曲の再検討から―― はじめに 一、『音曲口伝』の例曲 二、『音曲口伝』例曲の原形 三、『関寺小町』における「嘆老」と「寓意」 むすび 第五節 世阿弥筆本『松浦佐用姫』を読む――その趣向を中心に―― はじめに 一、雪景色 二、受衣と偈 三、鏡と領巾 むすび 第六節 『泰山木』と将軍御所の泰山府君祭 第七節 『頼政』ではなぜ足利利又太郎の活躍が描かれているのか 第八節 『夕顔』の作意からみえてくるもの 第九節 『白楽天』の原形とアイ 第七章 世阿弥の思想 第一節 『花伝』第六「花修」をめぐる諸問題 はじめに 一、「花修」概観 二、執筆目的についての従来の見解 三、「花修」を読む 第一条を読む 第二条を読む 第三条を読む 第四条を読む 四、「花修」の執筆目的 五、「花修」執筆の時期 むすび 第二節 禅の「無」と世阿弥の「無」――『六祖壇経』に照らす―― はじめに――――「無の論理」という視点 一、世阿弥と『六祖壇経』 二、世阿弥における「無の論理」 三、『六祖壇経』が説く「無」 四、世阿弥が説く「無」 五、世阿弥の能における「無」 むすび――禅竹の「無」 第三節 『花鏡』の「一行三昧」をめぐって はじめに 一、『花鏡』の「一行三昧」 二、習道論としての「行往坐臥」 三、狂言槌大夫の「行往坐臥」 四、「行往坐臥」「日々夜々」論の展開 むすびにかえて 第四節 芸道用語「人ない」と世阿弥の幽玄 第五節 「平家の物語のまゝに」と『三道』 第八章 世阿弥後の観世座 第一節 観世七郎元能の出家と帰依 第二節 信光と五世観世大夫之重 第三節 四世大夫観世又三郎と『寛正五年社記』 第四節 越智観世の三世十郎大夫の事績 第五節 弘治三年駿府の「観世大夫」は宗節か――戦国期における観世座の地方下向望見―― はじめに 一、『言継卿記』弘治三年二月の「観世大夫」 二、弘治三年初頭前後の元忠 三、観世大夫元忠と観世十郎の呼称 四、元忠と三世十郎兄弟の活動 五、『甲陽軍鑑』所見の「観世大夫」 六、元忠の地方下向 むすび 終 章 世阿弥回帰――観世寿夫の登場 報道にみる寿夫の逝去 能の内面における変化 寿夫の遺産 テキストの検討 能の全体を見る 能界と観客の変化 役者における世阿弥発見 夢幻能の発見 世阿弥の「幽玄」の体現 寿夫登場の意味 初出一覧 あとがき 索引〔曲名、人名・書名〕
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